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力の及ぶ先

手元の瓶を取り上げて奥の棚に移す。 その瓶の底が台上に並べた器にぶつかる。 流しに持ち込んだ器を洗って台上に置く。 その器の口元が蛇口にぶつかる。 その時々には気づかぬおのがかけた力が積み重なり、ある日、粉々にしてしまう。 手の力が直接かけたその対象にどのような作用を及ぼすか。 それだけでは足りない。 それだけではただ…
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ランボー全集 

ランボー全集 全一巻 雪華社 1971 手元にあるのは第2刷 1972  金子光晴 斉藤正二 中村徳泰 共訳   金子光晴 1895-1975 ランボー全集 全三巻 人文書院 1976  手元にあるのは第一巻のみ。  鈴木信太郎 佐藤 朔 監修  平井啓之 稲生 永 中安ちか子 渋沢孝輔 橋…
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マルセル・レイモン (平井照敏 訳) ボーレールよりシュールレアリスムまで 

マルセル・レイモン (平井照敏 訳) ボーレールよりシュールレアリスムまで 昭森社 1964 Marcel Raymond (1897-1957) De Baudelaire au surrealisme (Jose Corti) 初版は1933 第1部 逆流(象徴主義、ロマヌス主義、本然主義、・・・) 第2部 あたらし…
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飯島耕一 ランボ―以後 小沢書店 

飯島耕一 ランボ―以後 小沢書店 1975  飯島耕一 1930-2013   シュルレアリスム詩論 1961 駐車場付きの古い倉庫から。整理に伴い移動。 Ⅰ.ランボーをどう読むか Ⅱ.萩原朔太郎とその周辺 Ⅲ.シュルレアリスムの欄外に Ⅳ.現代詩の現状 わがランボーとの出会い あとがきに代えて
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西郷信綱 詩の発生 文学における原始・古代の意味 

西郷信綱  増補版 詩の発生 文学における原始・古代の意味 未来社 1964年   西郷信綱  詩の発生 文学における原始・古代の意味 未来社 1960年    詩の発生  言霊論  古代王権の神話と祭式  柿本人麻呂  万葉から新古今へ  新古今の世界  鎮魂論   源氏物語の「もののけ」について  文学意…
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荒地周辺

ねじめ正一 1948-6-16  荒地の恋 オール読物連載 開始 2003年2月から 荒地   1938- 鮎川信夫  1947-1948 田村隆一   最所フミ(さいしょ ふみ、1908年10月25日 - 1990年)82歳  -1945 NHK 海外放送課   -1954 秋 加島祥造  -1986 鮎川信夫 7…
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詩人と評論家についてのつまらない独り言

ぼくはこの世の果てにいた。 きみは向こう側にいて、憐れむようにぼくを見ていた。 常識こそが、人類普遍の知恵なのだと振りかざし。 見ていることとこちら側に来ることはまるきり違うことなんだ。 安全地帯にいて、そこにいる人たちにぼくは世の果てまで見て来たと、知ったかぶりをするんじゃねぇ。 小林秀雄は評論家だったが、村上春樹も…
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The chronology and discography of Yosui

雑誌PEN の陽水特集、4期にわけての年代別レビューにもとづき、これにキャンベル氏の英訳詞リストの一部も加えて。 両者には異同もあり、あいまいな備忘のためのリストである。 1972年から75年、  1972 断絶(限りない欲望、人生が二度あれば、傘がない・・・)  1972 陽水Ⅱ センチメンタル (東へ西へ、夏まつり、夜の…
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井上陽水 ジェラシー について 再び

2004年12月09日 「君によせる愛はジェラシー」 1980年代の井上陽水    ジェラシー 1981年  人間関係 虚  1981年末に発表された井上陽水の「ジェラシー」は、不思議な歌である。  1981年、私は初めて欧州に渡った。短い2回の滞在のいずれも、日本への帰国便の中で、同乗した日本人のサラリー…
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雑誌PEN 井上陽水特集 および ロバート・キャンベル 井上陽水英訳詞集

 週末に注文しておいた陽水関連の雑誌と本が昨日届いた。  PEN 通番495号 2020年5月1日・15日号 CCCメディアハウス 完全保存版 井上陽水が聞きたくて 店に並んだのは多分4月15日。    88ページに及ぶ大特集。雑誌146ページのうち。  1972年から75年、1976年から86年、1987年から98年、19…
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傘がない

ロバート・キャンベル氏が井上陽水の歌詞を英訳したという。 そのことを雑誌penの最新号で知った。 翻訳の顛末。 青空ひとりきり 傘がない 54篇の詩編のうち、いくつかの詞の何度もつくりかえされた英訳の、その過程が語られている。 傘がないでは、タイトルをどう移すか、陽水とのやり取りが紹介される。 傘は自分の手持ちの傘でも…
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佐々木幹郎 2017 中原中也 沈黙の音楽 岩波新書

昨日出かけた街中の書店で見つけた。 刊行は標記のとおり。 約二年前。 生誕110年、没後80年にあわせて準備されたものらしい。 著者について調べてみると、詩人でもあり、明治期以降の詩人諸家の歴史も追いかけている様子。 動画で話をしている様子を映している。 その動画で紹介されているもの 忘れられた詩人の伝記 - …
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飛んでくるあの飛行機には、 昨日私が昆虫の涙を塗つておいた

ナカオさんがカミヤベーカリーで展開した静かな個展に樹脂で成形した小さな飛行機のピンスが並んでいた。中原中也の表題の詩句がふと浮かんだ。遠い昔のこと故、少し変形されていたけれど。 透明な青い空に、青銀色の飛行機が筋をつけていく。 逝く夏の歌       中原中也 並木の梢が深く息を吸つて、 空は高く高く、それを見…
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あゝ おまへはなにをして来たのだと…… 吹きくる風が私にいふ

 あゝ おまへはなにをして来たのだと……  吹き来る風が私に云ふ  中原中也  山羊の歌  羊の歌 帰 郷      中原中也   柱も庭も乾いている 今日は好い天気だ     椽の下では蜘蛛の巣が     心細そうに揺れている 山では枯木も息を吐く ああ今日は好い天気だ   …
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「中也とその周辺  集成」について  小林秀雄のこと

「中也とその周辺  集成」について 小林秀雄の文章を最初に読んだのはいつであったろうか。高等学校の教科書であったか。戦火を被った廃材で作られた暗い部室に残された文章は後に、小林秀雄のランボオ論を下敷きにした習作だったかもしれないと思い至った。そして、その頃、ただ一度だけ程近い距離で生身のその人を仰いだ。出版社が企画する全国巡回講演会であ…
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踏み越えた先の途

高橋悠治が高田和子に贈った花筺(花筺――高田和子を悼み  高橋悠治)。 あるいは道浦母都子の若き日々。 旧い友人が川原で一人旅立った日。 踏み越えたその先には子どもの泣き声さえもが、現し世ではもはや得られぬ平和のしるしと響いたであろう。 通り過ぎてきた時を、ほんとうはだれも知らない。 そして、ともに流れていく。 …
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夏のざわめきのなごり

振り返ってみればこの時期、体調を崩すことが多い。 夏、身体の言い分を聞かずに動き回った報いか。 秋、焦って積み重なった仕事をこなした脳髄がまとまりつかぬまま混乱しているためか。 休息を入れても、身体の芯から疲れの素が滲み出してくるばかりである。 アルチュール、夏のきらめきと解放をうたった君は、常夏の地を心急くまま歩き、短い生…
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中原中也研究 第12巻

昨日、仕事の帰り道に立ち寄った書店のいつもの片隅に積みあがっていた。 昨日届いたばかりです。 店主が言う。 出版元から直接送ってくると聞いていた。 大江健三郎が渡辺一夫から受け取った中也署名入りの「ランボオ詩集」のこと。 イヴ・マリ・アリュー氏が中也の詩をフランス語訳し、出版したこと。 引用の引用 「今日伝説化…
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人生が二度あれば:YOSUIの60年

 YOSUI TRIBUTE が出て、3年の月日が経った。UAの歌う「傘がない」は再構成された「父」と幼い娘を描いた映画の中に流れているという。  われらが陽水はすでに60年目の日々を歩いているはずである。 「人生が二度あれば・・・」と歌ったとき、そこで歌われた父は65歳、そして母は64歳。 計算に間違いがなければ、その父母は…
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遠ざかる風景: 井上陽水( Yosui )の「少年時代」

 1999年にリリースされた井上陽水ゴールデン・ベスト・アルバム最初の曲は「少年時代」である。  この曲がつくられたのはおそらく1990年代の初め。陽水、初老(42歳)のころ。遠景に退いた少年時代が激情や諧謔をそぎ落とし美しく歌われる。もとより当時、同時代の音楽に縁のなかった身に、記憶が残るわけもない。しかし聞けば、この曲は義務教育の…
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「天井に 朱(あか)きいろいで」

 朝、雨戸を開ける前、すりガラスにうつった幾つもの小さな幻燈。  薄明るくなった天井に浮き上がった鳥の頭や、嘴や、目玉。  夢に泣いて目覚めた夜闇と昼のはざかい。  いじめたともいじめられたともそのいずれとも判じかねるあいま。  ファーブルの昆虫記、糞ころがしの玉虫に惹かれて山の赤土を掘り返した昼下がり。  見つけたのは山…
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la tristesse allante

 謎のウェブサイトに教えられて自慢げに言うことではないが、かの有名な「疾走する悲しみ」とは、もともと「モーツァルトとの散歩」の中でHenri Gheon(ごめんなさいアクサンがはいりません,アンリ・ゲオンかな)が使ったといわれる表題の表現を移し変えたものらしい。むかし、小林秀雄の著作で見ているはずであるが、今は調べなおす根気がない。 …
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ランボオの本、2冊

フランスから本が届いた。 ランボオ(1854-1891)についての画文集2冊。 文学とも芸術全般とも縁の薄い生活をしているのに、仕事を離れていつもと違う時間の中に入ると、ふいと気になってしまう。 1.Jean-Jacques Lefrere 2006 Face a Rimbaud. Phebus 2.Bernard Bous…
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無題

詩は生にそえられた補助線のようなものだ ランボオは裏切りだというだろうか このことには説明が要るだろうか わたしははじめ、長い文章を書いていた しかし、この一行がやってくると、すべては無駄に思えた 説明は要らない ********  補助線はしかし、くっきりと描かれねばならぬ。そのことによっても…
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少年よ

少年よ チチハハを乗り越えていけ チチの愛を求めてはならない ハハの過誤を背負ってはならない ここを旅立ち 遠い地から振り返るそのときまで 少年よ チチハハを乗り越えていけ ハハのぬくもりを求めてはいけない チチの許しを願ってはならない ただひたすらに 君の道を歩いていけ いま、答えの出せぬことは秘密の箱…
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「君を送ろうモーツァルト」

20代の半ばのことである。 それまで長く会わなかった旧い友人に再会した。 10代半ば、モーツァルトのおふざけに、純粋ならざるものを感じた互いが、そのときにはともになぜかモーツアルトに回帰していた。 「宇宙的孤独を感じるんだ」と。 そうか、モーツァルトに始まり、モーツァルトに終わるんだ。 童話に始まり、童話に終わる。 鮒釣りに…
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中也とその周辺  集成

 鴨長明さんが「ちうや」の請求をなさる。しかし、話し始めると、年寄りの繰言になりそうである。おばあちゃん、そのはなし、もうきいたよ。わが身のことながらうすうす気づいている。見栄かもしれぬが、あまり目立たずいきたい。  そんなわけで、とりあえず、ちうやに関連してこれまで書いてきた記事をこれまた集成版とした。 1.UAが歌う井上陽水…
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