L'Éclipse 1962 太陽はひとりぼっち

この映画がアントニオーニ監督の作品であることを忘れていた。
原題は日食というべきか。陽の翳りとすべきか。あるいは・・・
興行効果を狙ったと見える邦題は感傷的で、映画の乾いた感覚には合わない。

主要俳優がアラン・ドロンだったので、ルネ・クレマン監督の太陽がいっぱいにあわせて、つけたものかもしれぬ。

公開が1962年というからすでに60年近くたつ。

証券市場の荒廃した風景と女主人公の「結婚には郷愁を感じないの」ということばが記憶に残っている。

結婚といえば、養老孟が「結婚というのは社会的なものですから。家を基盤とした・・・」とニホンザルとチンパンジーの社会を挙げて話していた。それが当方にはあまりに無邪気な言辞にうつった。

アルベール・カミュに「結婚」というエッセイとも小説ともとれる文章があり、それを学生時代のある友人は好んでいた。フランス語で読んでいたのかもしれぬ。何年も経ってから再会した時には女の子を連れていた。結婚し、出産後、離婚したという。「わたし追い出されたの」。詳しい事情は聞かなかった。そのときには身辺に結婚に関わる様々な苦い事件が重なっていた。

カミュが「無垢への郷愁」を基盤とした連帯が自由の恐怖政治的な束縛につながることを指摘したのは1939年の「結婚」の発表よりずいぶん後のことだろう(反抗的人間 1951)。

100年ほども前のある人にかかわる家族の歴史を調べていて、「家業」と「家族」が重なり合った経営のありさまに見知らぬ世界を見る思いでいる。このことについてはいずれあらためて。ただ、ああ、結婚を永久就職っていっていたのは当時の実態を反映していたのだと。それを男どもは女にとっての限りない不幸であるとは思ってもみなかったろう。


さて、アントニオーニであるが、彼の映画は物語ではない。
さまざまな場面を切り取る「視点」そのもの、すなわち「認知」のしくみがテーマである。
乾いた場面が積み重ねられる。
20世紀半ば、大戦の荒廃を乗り越えたのちの。


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婦人画報の最新号で映画の特集を組んでいて、ある人の推薦作品としてこの太陽はひとりぼっちがあげられていた。
1週間ものち、新聞と雑誌をよみにでかける喫茶店で。

欲望(邦題)Blow-up は1966年。
Michelangelo Antonioni, 1912年9月29日 - 2007年7月30日

あわせて記憶に残るイタリアの映画監督。
Pier Paolo Pasolini, 1922年3月5日 - 1975年11月2日

イタリア関連で、須賀敦子 1929年1月19日(戸籍上は2月1日) - 1998年3月20日



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