こころの交差点:木陰の補習教室

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zoom RSS 2011年4月

<<   作成日時 : 2016/03/13 11:12   >>

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春の風にのって
<< 作成日時 : 2011/04/01 02:22 >>

にわかには現実と認めがたいことがおきる。
津波にさらわれた北日本東岸一帯。
そしてこの先どれだけの事態に発展するとも限定しがたい原子力発電所の制御不能性。
「天罰が下った」というある知事の発言が人々の顰蹙をかった。
命を落とした人々、家財を失った人々、核の恐怖におびえる人々のひとりひとりがどのような悪いことをしたのか、そして生き残った人々、ビルの上に乗って旗をひらめかす漁船をみておもしろがる若い人、避難した人々の留守宅から家財を掠め取っていく人々がいかなる善をなしとげたかという議論は、もちろん、成立するまい。
しかし、これらの一連の出来事を「想定外」として、何も起こらぬ僥倖を「あたりまえ」として作り上げてきたわれわれの生活の、これがその結末であるといわれれば、存在の深いところで、それに納得しないではいられない。

もう、何年前のことになるだろう。
超高層ビルの最上階にある「美術館」の外回廊からぐるり首都とその周囲を見下ろしたときの衝撃。
そのときには、その意味を理解することができなかった。
今思えば、それは水、電気、食料を供給する源泉をどこに求めるのかという素朴な疑問にすぎなかったのだけれど。
同じような高度で展開する建物。延々と生き物のように果てしなく広がるかたまり。エレベータを動かし、煌々と照らし、水を空中まで持ち上げ、空中で暮らす人々の胃の腑を満たすものを運び込む。夏は20度に設定しなお暑いよと叫び、冬は30度に設定しなお寒いと尖った物言いをする。おびただしい人々の群れが、空中で暮らす。

辺見庸 3月16日 北日本新聞特別寄稿

ブログ 世に倦む日々 3月31日記事


現代から振り返ればまだ首都に住む人々の暮らしがささやかであった1923年、その街がなぎ倒され、続く火災によって焦土となっていく中を、永井荷風は縁者を求めて歩き、焼け残った自らの住居を提供した。荷風43歳。混乱の中、大杉栄と伊藤野枝が逮捕殺害されている。
1936年 2・26事件 荷風 56歳。
1945年、東京大空襲 荷風65歳。
未曾有の災害を生き延びた館は焼失。縁者を頼って焼け残った首都とその周辺を転々としたのち、次々と爆撃により焼失していく土地を逃れ西日本へいたる。
60代半ばの喪失と「難民生活」を近未来に到来する事態として想像する。


自然から学ばぬ悲惨。


ガンバレニッポン。
ミンナガツイテル。
ヒトツニナロウ。

がんばりすぎるな、とキミたちは告げられたのではなかったのか。
みんなの支援をジブンのチカラとおもいあがるなと教えられたのではなかったのか。


小出裕章

ラジオ番組で電話インタビューに答えて。
数年前の山中のセミナーの記録。


16年前、ドイツのテレビ局ZDFはあちこちに火の手の上がる阪神間を上空から映し出していた。
フランスで借りていたドイツ間近の都市の郊外にあるアパート。
テレビは家主の家のものよりも新しく、ヨーロッパ全土の無数のテレビ局と繋がっていた。
家主は別れの食事に招いてくれて、「これを飲めば風邪なんて吹き飛ぶさ」とミラベルの蒸留酒を土産に呉れた。
この地がドイツに従属していた時代の醸造許可が母親にはまだ適用されるということだった。
自家製の酒を小分けにしたビンにはなぜか髑髏の印がついていた。
単なる洒落かとそのときは思ったのだけれど、もしや、チェルノブイリの1986年製だったのか。

その翌年あるいはそれよりさらに後のことだったろうか。知人から畑に降りた死の灰を取り除く苦労話をきかされたのは。
私たちはその畑で収穫したロケットをサラダにして食したのだが。

季節は春。
かの地はまだ寒く、案内されたスイスの山では人々がまだスキーに興じていた。


如月29日。
春たけなわ。
月のない夜。
想定外の事態に見舞われる北半球にも季節は巡る。そして、すべては「毎日のこと」となり、やがて人は慣れる。


母が倒れてすでに4年。
入院先、裏の公園を車椅子を押し花吹雪の中を歩いた。
施設の花見に同行した3年前。
再入院。退院の日、病院に隣接する公園の花の木々の中を廻ったのは2年前か。

やがて苦痛が日常となる。
かの地の人々の苦痛と比較することは困難である。
そして、過去のあの日、この日の苦痛と比較することも難しい。


弥生3日。
ドイツ気象庁発表の放射性物質飛散予想図を見る。
ノルウェーでもフランスでも同様のサイトを発見できる。
福島第一原子力発電所三号炉がMOX燃料を使用していたことをフランスもドイツも知っている。関係者への国外または関東圏退去助言はそれに基づいている。WEB上でこの件のやりとりが活発にされた直後、テレビ・新聞は控えめにようやく取り上げた。そして数日経つとまた何事もなかったよう。退避を助言したことへの「不満」「不快」がむしろ広がる。


外国の報道は北アフリカからヨーロッパへの難民受け入れについての議論を伝える。この地の原子力発電所事故レベル7への引き上げと住民避難について。この地の報道から注意深く取り除かれた反原発デモのニュース。参加者、5000人とも10000人とも。北アフリカの政治難民とこの地の避難民の姿が重なる。


父の生家は内海の小さな半島の背にある集落の一軒だった。
その集落からわずかに離れて、緩やかな稜線を上がりきったあたりの畑の中に、その地には珍しい2階建ての長屋が建っていた。戦争が終わって住むところを亡くした人々がそこに住んでいたという。
戦傷兵のひとりであった父は農業に耐える身体ではなかったのであろう。
農地を戦前の小作に分けるというその仕事のまとめ役に祖父は当り、父は難民になり、そのユニットのひとつを住まいとしていたらしい。
その後、父と母は東方の町に仕事を見つけて移り住み、その宿舎となった4畳半一間の難民宿舎のようなところで最初の子どもが生まれた。まもなく父は新しい任地へ移ったが、そこもまた仕事とともに提供された難民住宅のようなところであった。子どもたちはまばゆい陽光と風を恵みと感じ、大人たちは照りつけられ吹きさらされる惨めを感じていたのであろうか。

東北のツナミとフクシマの原子力発電所事故に関わる韓国とアメリカ発信の写真集を見る。
ひとりひとりの親しく遠い孤独がそこにある。


ガンバレコールはひとりひとりのいのちからも、冷徹な社会設計からも遠いところにある。
弥生16日。
夏はもうすぐそこ。
十六夜の月は雲の向こうに。



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コメント(3件)
内 容 ニックネーム/日時
いつも多忙な母上。僕の方は退屈な日々。そして、隙過ぐる駒。
・・・チェルノブイリ事故の年を永い間忘れてゐました。いまはむかし、むかしはいまを感じてゐます。
髑髏を辞書で引くために、さて如何に引くかと考へました。一晩過ぎて漸く、されかうべ。「今昔」に幾つも斯様な話がある事に驚きます。
鴨長明
2011/04/06 12:38
ご無沙汰いたしております。多分、さきの戦時下によく使われたであろう「刹那的」とか「虚無的」という言葉を、今の「銀幕」に映し出される人々にはめ込んでみます。さて、「刹那」をワードに貼り付け、反転させてF6。時々使っております。アパートの上階でピアノの調律が始まったようです。これにて。
木陰
2011/04/16 10:35
建礼門院殿より、紅茶の緑茶を戴きました。嬉しい贈物でした。
昼寝から醒めて、昨夜、見たカズオ イシグロの番組の記憶を考へました。記憶は memory ですが、「竹取」の最後に月からやつて来た使者たちは空中に立つてゐる。彼らは雲に乗つて来たとある。誰もが人であるとすれば、僕のなかにある原初の記憶は月かもしれない、と。近未来、僕たちは Aniara のやうに地球を逃れて旅立つ日が・・・?
イエイツの或るサイトに、 He goes from happiness, to sadness, grief.とありました。いつも思考のヒントを感謝してゐます。
鴨長明
2011/04/18 12:32

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