| タイトル |
日 時 |
しいたけのマリネ
このところ、気持ちが晴朗ではない。どちらかというと沈んでいる。春愁というのか。久しぶりに少し歩いてなじみの店に食事に出かけた。スープと、それに合わせたパスタか何かと注文すると、春ニンジンのポタージュにニンジンの桜の花を浮き実にしたもの、それに山椒の芽、エンドウ、うるい、あれこれ春野菜とあさりを合わせた淡い味わいのパスタを出してくれた。客は一人だけ。店主夫妻とおしゃべりをして、少し元気になって帰宅。
家には昨日の日曜日に思い切って山を買い込んだ椎茸がそのまま残っていた。計画性がないのである。
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2008/04/14 22:13 |
本あれこれ
おどろくほど何もできない。
この間、あちこち、出歩いていたのと、ある会の世話係のような仕事で準備に追われていたのとで、落ち着かない日日を送った。何をやっているのか。数日自宅で仕事をして、6日ぶりに職場にでてみると、本屋から本が届いていた。
出入りの書店の古書市から、Toyo Ito、Frank LLoyd Wright 建築・内装の本。ほかにも建築・内装の本の何冊か。伊東豊雄Toyo Ito 、その名をこれまで知らなかった。その前に手にしていたのは隈研吾の特集をした雑誌、それに新書版の新刊。
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2008/04/08 18:58 |
考えるということ
「考へるヒント」と題した文庫本がどこかにあった。「考える」と「考へる」とどちらが深く考えるように響くだろうか。そんな他愛もないことを考える。
「感覚」「直観」「実感」、・・・・そこで用いられてきたことばと「理論」ということば。あるいはそれらの枠組みは、いま、もう少し異なるものに組み替えられるであろうか。
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2008/04/05 16:47 |
木陰が走る
すっかりご無沙汰した。
いくつか書きかけの記事がたまってはいるが、中断のまま。
新しい年度が走り始めた。本業以外にもボランティアの仕事があり、Emailが錯綜する。パソコンの内部で準備した書類に不備が見つかる。訂正の連絡がまた飛び交う。向こうは深夜、こちらは夜明け。新しい仕事に新しい関係、新しい動き方。
山も街も花盛りである。花の蔭を急ぎながら、「花影」という作品を思い出す。大岡昇平が戦争から戻って書いた作品群をまとめて読んだころ、すべては本の中の世界だった。
目の前にある形とその背後の
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2008/04/04 06:44 |
水の流れるみち
水を流す。
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2008/03/15 04:49 |
花の香りにさそわれて
旧暦。
一日、二日、とつづいて、三十日、晦日に達する。そして、その次は一日(朔日)。
あたりまえ。と思っていたけれど、二十九日で終わる月もある。そういえば、月が地球を一巡するのには30日はかからなかったとどこかで聞いていたはずだ。旧暦のこの正月は30日まで続き、そして、今日はきさらぎの朔日。
例の騒ぎの餅屋が、朔日餅というのを予約制で出していたことを思い出す。
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2008/03/08 21:48 |
今日もよいお天気で
旧正月も今日でおしまい。
織田にゆかりの城跡につくられた神社から配られた暦には旧一月の晦日とある。
陽射しが明るく,夕方5時をすぎてもまだ窓を照らす陽が高い。
毎日、打ち合わせ、会議、事務仕事の繰り返しで過ぎる。
昨晩は少し早めに切り上げて本屋に立ち寄り、外で食事をする。
いつもの店である。
温野菜の一皿と鳥のから揚げ、それに漬物。
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2008/03/07 06:03 |
「わたしはそんなことはしない」
親が子どもを痛めつける、ときには死へと導く。
その親自身が子ども時代に虐待を受けていた。
このような虐待の世代間伝達、虐待連鎖に関する根強い信仰がある。
この議論に執拗にこだわる人に、その正しさを確かめることの困難、その論への懐疑を提示すると、ほとんど泣かんばかりに抗う。そんな場面をいくつも見てきた。
私は初め、あまりの反応の激しさに、その人が、自身、苛酷な経験を抱えているのだろうかと訝った。
しかし、慎重に時間をかけて観察しても、そのような懼れは形になってくることはない。
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2008/02/18 10:06 |
アートシアター・ギルド 1971年
ATG 1971
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2008/02/12 05:06 |
壊れたる後
幕末を舞台にしたテレビドラマを見ていた。
10代の娘、姫君が活発に動きながら、しかも蓄積された様式の中に納まっている。
いまの崩れ放題の関係を思い、江戸数百年の人々の関係の積み重ねを考える。
もちろん、ドラマのことである。
現代の人間が思い描いた百数十年前の人々ではある。
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2008/02/09 19:40 |
初雪のぬかるみに小休止
今年は雪がふらないのかねえといいいいした朝の、そのほんの1時間後に、舞い散るような水滴が見え、それはみる間に雪となった。
食事食事と外に出れば、路上では宅配便の車が立ち往生し、店に着くころには頭も衣服も雪まみれである。
あたふたと新暦の正月を過ぎ、気づいてみればはや旧正月も3が日を過ぎる。仕事が遅いのか、それとも多すぎるのか。旧暦の正月、如月、弥生と先を見通せば、相も変わらず出るのは溜め息である。
溜め息をつく暇があれば仕事をせいと人はいうであろう。しかし、仕事には決断が要り、手順
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2008/02/09 19:26 |
Tomi Ungerer あるいは諷刺ということ
Tomi Ungerer の美術館がストラスブールの街に出来た。
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2008/01/30 09:28 |
アート・シアター・ギルド 1970年
1970年
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2008/01/30 04:00 |
旧暦は師走
師走はたしかに「シハス」でなければならぬ。少し前の旧仮名と新仮名交じりのおかしな自分の文面を見ながら、そう思う。表音文字化することで、元来の意味を喪失していく。そして切り貼りを続ける。それは日本語にとって不可避の道筋なのか。
そんな取り止めのないことを考え、そのどうしようもない仕組みのなかにからめとられながら、旧暦の師走も下旬を迎える。大寒、そして月は次第に痩せ、夜の野を照らさない。
一年のしめくくりを迎える本業のせわしなさがあり、施設で暮らす母親のことがあり、調子の外れた読書用眼鏡が肩こり
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2008/01/28 17:13 |
アート・シアター・ギルド 1969年
ATG 1969
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2008/01/04 01:27 |
霜降る里を訪ねあぐね
いつのまにか霜月も半ば。
昨夜は少しいびつな十五夜の月が東の空をあがっていった。
討ち入りはひと月後十四日の夜。
明るい月が懸かっていたのかそれとも雪模様の曇り空だったのか。
織田家ゆかりの城跡に神社がある。
そこから、毎年暦が配られてくる。
旧暦を確認して色をつけていく。
暦を配り、一年の仕事の段取りをし、調整をする。
暦がなるほど貨幣とならんで統治のシステムであったわけだ。
二つの暦を眺めて、今年も暮れる。
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2007/12/25 09:31 |
「広い砂浜でほんのひとかけらのさくら貝をひろったような」
もう40年も昔、「ヤマテイ」とかいう英文解釈の受験参考書があり、それが高等学校の英語のサブテキストだった。授業でとりあげられることはなく、ただ、範囲を決めて、定期的に試験があった。数行の英文を、読み解く。それも、哲学や思想のジャンルから、小説の一節。まるで、パズルを解くように難渋し、とんでもない読み方をした。
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2007/12/21 08:19 |
アート・シアター・ギルド 1968年
ATG 1968
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2007/12/12 05:23 |
アート・シアター・ギルド 1967年
ATG 1967
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2007/12/02 21:24 |
木枯らしとともに吹き溜まり
まだ、旧暦では10月。神無月である。
しかし、現の世界ではさようなわけにはいかぬ。
おそろしく忙しいというさるブログ主の話を横目に、一月の間の仕事の算段をする。
合間に中野重治「萩のもんかきや」「五勺の酒」をぱらぱらと捲る。
明日は東京国立博物館のホールで開かれるシンポジウムを聞きに行く。
亡くなった長井真理の名前に惹かれて一連の催しに足を運んだのはいつからのことだったか。しかし、登壇する人間に女性が含まれることはなく、内容も、なぜか隘路に迷い込むようにみえる。タイトルを除
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2007/11/30 14:59 |
アート・シアター・ギルド 1966年
ATG 1966
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2007/11/23 16:49 |
アート・シアター・ギルド 1965年
ATG 1965
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2007/11/22 19:04 |
アート・シアター・ギルド 1964年
ATG 1964
女ともだち - 監督: ミケランジェロ・アントニオーニ, 1956年製作(イタリア), 1964年1月封切.
イワン雷帝 - 監督: セルゲイ・エイゼンシュテイン, 1946年製作(ソビエト), 1964年2月封切.
私はそんな女 - 監督: シドニー・ルメット, 1959年製作(アメリカ), 1964年4月封切.
去年マリエンバートで - 監督: アラン・レネ, 1960年製作(フランス), 1964年5月封切.
鏡の中にある如く - 監督: イングマール・
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2007/11/22 03:25 |
アート・シアター・ギルド 1963年
ATG 1963
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2007/11/21 06:43 |
久しぶりの朝ごはん
朝早く起きた。
月曜日の夕方に使いかけた白菜が残っている。
1週間ほど前、農家で分けてもらった里芋が残っている。
有機農法の玄米がある。
使うのを忘れている生姜がある。
冷凍庫には、ご飯のストックが切れている。
流しを片付けるついでに朝ごはんを作ることを思い立った。
じつは、このところ朝、ごはんを炊いたことがない。
玄米を洗い、里芋を刻み、雑穀を足し、黒豆のカンヅメを放り込み、刻み生姜の一部も入れる。
白菜は大ぶりに刻んで、だしを入れた鍋に放り込む。
9月に愛媛からやってきた
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2007/11/21 05:59 |
アート・シアター・ギルド 1962年
中学生のころ、映画はまだめったに観られるものではなかった。
昨今のようにテレビで再映されることも少なく、レンタルビデオなどまだない時代である。
中学校から年に1回、市中の映画館へ連れ出してくれた。憶えているのは「小鹿物語」と「禁じられた遊び」である。友人がなぜか切符を持ってきて勧めてくれた映画を家族で観に行った。「静かなドン」と「僕の村は戦場だった」。そのころ、アート・シアター・ギルドの活動が始まったと新聞に紹介されているのを見た。しかし、その上映館への道のりは少々遠かった。
頻繁にそこへ
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2007/11/20 22:13 |
改めて数字を並べてみれば
東京大学の研究グループによる、全国の大学生対象の調査結果の一部が新聞紙上に載っている。
その内容を少し並べ替えた。
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2007/11/19 22:27 |
黄葉の光の下で
旧暦では「かんなづき」である。
出雲に神様が出かけていってしまうというのは、あとからつけられたおはなしかもしれない。 それよりも秋の収穫に関わる意味の方が無理なく受け止められる。
神が新穀を舐めるというように。
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2007/11/16 06:38 |
雑文庫(別室から)
ノート、案内というつもりで新しいノートをつくりました。
ここへはそこから少し移送しました。
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2007/11/12 20:48 |
中原中也研究 第12巻
昨日、仕事の帰り道に立ち寄った書店のいつもの片隅に積みあがっていた。
昨日届いたばかりです。
店主が言う。
出版元から直接送ってくると聞いていた。
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2007/11/07 20:27 |
秋の極み
長月28日 こよみによれば細い月が夜明け前の東の空に昇るはずである。
しかし、時雨混じりの空には群雲が鈍く光るばかりで、その姿は見えない。
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2007/11/07 05:00 |
人生が二度あれば:YOSUIの60年
YOSUI TRIBUTE が出て、3年の月日が経った。UAの歌う「傘がない」は再構成された「父」と幼い娘を描いた映画の中に流れているという。
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2007/10/31 06:26 |
均一商品大量生産・大量消費
いつの頃だったか、「赤福餅」「お福餅」の間の抗争がドラマとなったことがあった。記憶違いでなければ、「赤福餅」の側から、最後は勝利におわった2店の競い合いがえがかれていたはずである。
引き取り商品の作り直しが三十数年前から始められていたという小さなニュースを聞き、そのことを思い出した。
もともとは、土地で採れる材料を使い、姿の見える相手との間で取引されていた生餅が、キオスクにならび、支店や営業所を方々に持ち、新幹線の中でも頒布される商品となった。品物を切らさないとなれば、どこかでは過剰に供給さ
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2007/10/26 18:56 |
後の月見、今年もまた
ささやかな、月見の茶会。
小さな旅篭をを紐解いて。
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2007/10/24 16:12 |
媒介者の責任
人さまにものを差し上げる。
紹介をする。
間に立つ人となる。
能動的ではなくとも、そこに責任はつきまとうものだろう。
ある大きな仕組みの中に身をおいてしまっている以上、回避できないというのだろうか。
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2007/10/24 15:55 |
縞 格子縞
20年ほど前、香港へ3年続けて出かけた。
一人ではとても思いつかない買い物旅行だった。
とにかくばかばかしいほどの忙しさで、日常の生活に必要なものを買いに出かける余裕も無いころだった。だから、2泊3日なり3泊4日なりの日程をとって、仕事着をまとめて仕立ててもらうのはそれなりに合理的だった。
そして、少し年下の知り合いと、合宿生活のように付き合ったのも。
その折、スーツに合わせてシャツをいくつか誂えた。そのシャツの襟がようやく擦り切れてきた。
肩をいからせた戦闘服のような服が流行
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2007/10/19 22:09 |
丸山真男と李良枝・・・
秋には秋の日々のあわただしさがあり、そのただ中で丸山真男についての小さな本と、李良枝の小説集を読んだ。
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2007/10/11 03:22 |
中の秋
旧暦もようやく葉月。
かたづけ、探し物、修理、・・・
大き目の鉢から鬼の子のように湧き出しはみ出していたアロエを株分けした。
あれこれの探し物に明け暮れた。
探し物はむこうからやってくることもある。
ホイジンガを読んだのは高校2年生だった。
それ以来開いたことは、ない。のだが。
あたふたと、今度は南へ出かける。
40年ぶりである。それ以来、足をのばしたことはない。
しかし。
繰り返しの中で、さまざまに再会することども。
蒔かれた種子が、あるいは、分けられた株が、形をあらわし
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2007/09/12 04:08 |
パズルの欠片あるいは迷路
ばらばらに残存し、想起される記憶の欠片が、あるとき一続きになる。
やみくもに歩いていた小路や大通り、建物や空き地があるとき鳥瞰図的に見えてくる。
道のりのもどかしさ、空白の時間。
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2007/09/10 08:47 |
夏果てて
重い買い物袋を提げてアパートの6階まであがってくると、真向かいにほんのりと茜色の光の帯が浮かんでいた。
虹のようにも思える。
「秋の虹」で検索してみると季語となっているようだ。
しかし、例として挙げられている句をたどってみても、いずれも魅力に欠ける。花冷えという美しい言葉が、それ自体としては句に盛り込みにくいのと同じだろうか。
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2007/09/06 21:22 |
時計をなおす
時計をなおすといっても、機械部分の話ではない。
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2007/09/06 04:37 |
ふづきふつかはせみしぐれ
ゆるゆると流れる旧暦もようやく7月。
少し疲れた緑の奥から蝉の声が聞こえてくる。
夜半に少し雨が降ったらしい。
昨晩は疲れてペルセウス流星群のことも念頭に無く寝入ってしまった。
今日の未明までがピークという。
おまけに新月。
流星の雨を幻想する。
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2007/08/14 07:05 |
鳥の影
台風が去って、パキリとした日差しが雑木林に陰影をつくる。
そして、目覚めてみればすでに旧暦水無月も五日である。
土用波のやってくる前の短い夏の数日を、子どものころ叔父の家で過ごした。
中庭をはさんで南側に祖母の小さな隠居所があり、そこが離れて暮す孫たちの夏の日々の塒だった。
叔父とその伴侶は、牛車に並んで乗り、朝早くから田に出かけた。
子どもたちは夏の宿題をしたり、着替えをして山道を下って海辺へ水浴びに出かけたりした。
午後、農作業からもどってきた叔父夫婦が井戸に浮かべて冷やしておい
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2007/07/18 08:03 |
半夏生のころ
朝からはっきりしない天気である。
それでも洗濯をし、外気にあてた。
ほとんど外に出ることなく、少しずつ仕事をしては、傍ら家事をする。
久しぶりの野菜スープ。
玉葱、しいたけ、セロリ、人参、生姜、それに胡瓜。
スープだけを摂る。
洗濯物を畳む。衣装入れに収める。
遅れている仕事をする。
台所の流しの汚れをとり、ふきんで水気をふき取る。
台所の床の雑巾がけ。
暦をみれば月は17日、今日か明日が半夏生という。
昨年の今頃、とあるブログで半夏生の字を目にした。
半夏という植物が生
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2007/07/01 22:11 |
半島の言葉
大陸から突き出した半島。そこからやってきた映画やドラマを見る。そのままの言語で。
字幕も見ないで。
「おばあちゃんの家」、「歪んだわれらの英雄」、・・・・
繰り返し聞けば、そのうちに聞こえてきそうに思える。フランスの人がスペイン語やイタリア語を聞くように。
今はつかわれなくなったことばが、あちらでは生きていて、万葉や平安の時代のように情動を載せた声と共に流れる。
おそらくは半島が起源であり、しかしその出自を忘れてしまった言葉が情動とともに口をつく。
このあたりの言葉をめぐる歴史は、こ
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2007/07/01 10:39 |
唖然・愕然・呆然
「おつかれさま」と言う表現がはやっているのだろうか。
E-mailで、通りすがりに、頻繁に飛んでくる。
多分、気軽な挨拶ことばになっているのだろう。
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2007/06/30 04:56 |
仕事のスタイル 番外編 仕事の準備と後始末
昨年4月から5月にかけての仕事が形になってきた。その後も、あれこれ手直しするはめになったから、4-5月のというのは正確ではない。
急に降りかかり、急かされて取り組んだ仕事であった。気持ちが急かされた分、問題が後に持ち越された。もちろん責任は自分自身にある。
十分な準備をしないまま走り出した。必要なものを整備しないまま組立て、後からあれこれ貼り付けた。最終的な形を想定しないで仕事が進んだ。あるいは、途中でそれが変わった。その変更に対応する備えをしていなかった(2007年四月一日)。
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2007/06/21 06:30 |
梔子の香りゆかしく
今年の梅雨は陽性だという。
それでもかっと照りつけた五月晴れの合間に、ときにどんよりと湿潤な空気の流れるときがある。鮮烈な香りにはっとして頸をめぐらすのはそんな折である。
この時期、通常の仕事の合間に、田植えの終わったあとの農道を、地方の鉄道の沿線を、町の小路の奥を、ひたすら回る。
煩雑、多忙、しかし同じものの繰り返しという性質もある。
初対面の人々に遭い、それぞれの土地の古と未来に思いをめぐらし、自らを省みる。
この生活をあと幾年続けるかを自らに問う。
成しえなかった事、到達し得な
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2007/06/17 16:55 |
小話ふたつ
その一
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2007/05/28 15:59 |
色を重ねる
週末のあそびに、色あわせ。
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2007/05/18 23:16 |