テーマ:季節のたより

「またこむ春とひとはいふ」について

「またこむ春とひとはいふ」について  今年の春、桜を何度も車の中から愛でた。花見の宴を張るひとびとも遠く花の風景に納めて。  市中にある城郭の外周。その昔そこは戦火で焼失した城を鉄筋コンクリートで再建してまだ間もなかった。外堀には戦後焼け出された人々の仮住まいのような小さな住居が貼りついていた。北側の公園の桜はまだ若く、整備されてい…
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雪のあいさつ

 数年に一度の寒気という。朝からまるで北ドイツの冬さなかのような鈍青色の雲が層をなす。  古い住居の水回りに手を入れる。その工事をあらかた見届けて仕事場に向かう。  雪の予報と寒さに身がすくむが、いくつか気になる仕事があり、明日の雪道を考えれば、今日のうちに片付けるより無い。  夏から続けている書籍の整理。いくつか残った講義や演習…
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年の瀬の一日

 年末は秋以来の休日勤務が重なったので、まとめて振替休暇を摂った。  家でまとまった時間をとり、ゆっくりと仕事に集中しよう。  しかし、いざ、年末のその日になってみると、あれやこれや、職場でこなすべき仕事がわき上がって来て結局毎日のように通う始末。そして、出てみれば、それごらん。出て来てよかったという出来事の数々。歳をこしてしまうか…
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来年を予約で

土曜日、医者に出かけるとシャッターが閉じられている。 すごすごと百貨店に向かうも、周辺は車でごった返している。 せめて、コーヒー豆をと、一駅先の開店前の店に並ぶ。前に一人、そして続々と二人連れ、家族連れが後に並ぶ。 ケーキと豆だけ。喫茶はなし。 前の客には前に進むなり店のマダムは大きな袋を奥から抱えてくる。 来年の予約をと客は…
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2017年(平成29年)秋立つ

 昨日は立秋。  台風5号、あるいは野分とともに一日が過ぎた。  夏至と秋分の日の中間。春から秋の4分割の最後。この構成は極めて幾何学的である。  北緯35度、東経136度、地上の暮らしは夏至からこのかた、ひたすら仕事、仕事の毎日である。  一日を過ごすのがやっとのことであるのに。  秋分の日から立冬まで、立冬から冬至…
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地獄の五月晴れ

東へ西へ、不義理が続いている。 5月は週の半ばに8つから9つの出番、週末は行事。 毎週これが続くとその次は太陽暦6月後半、恒例の外回りの2週間である。 今年は亀山と鈴鹿。 この時期、晴れれば地獄である。夏至近い日々は深い雲と雨こそが恵み。 幸い、亀山と鈴鹿を巡る旅は、ほどよく雲と雨の恵みをうけ、旧東海道の名残をという副産物…
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木蓮の香り

3月、ふわりと暖かくなったところで大振りの木蓮が開き、そして、また突然の寒気に褐色に傷つく。 あれこれと年度末の片付けを続けたところで、首都へ研究集会に出かけた。ワークショップ、シンポジウム、講演、そして、旧知のひとびとにすれ違い、食事をともにし、知人の消息を交換する。 会場は国策で出来た首都の大学。 19世紀から続くであろう建物…
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4年目の3月11日

当地は昨夕から雪。 冷たい雪まじりの風の中、本屋へ出かける。 夜半、東日本大震災を手がかりに検索すると、関心の風化、報道の表面化を指摘するものあり。 自らの4年前の記事 春の風にのって を読み直す。 4年とはどのような月日であろうか。 敗戦の日から一年半ほどで長女が生まれ、次女は4年後。 さらに4年、未だ敗戦下、復興とは名ば…
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A fool on the first of march

集合住宅管理組合の年次総会がようやく終わった。 昨年同じ時期に理事のひとりとなり、1年間。学区の保健委員と町内の自治会役員を兼務する。 ここに入居して20年有余。5年に一回ずつ役員の分担が訪れる。総会に備えて古い議案書を点検してみる。5年前も、10年前も、もう少し機動的にことを進めていたように見える。積み上がった書類の陰に携帯電話が…
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寒中散歩

新年のざわめきもひとわたり静まった。 朝、ごく簡単な食事をすませ、食洗機と洗濯機を始動する。 プラスチックゴミ、紙包装ゴミ、空き缶、空き瓶など資源ゴミを分別してしかるべき場所に移動する。 洗濯物を室内に吊るして一息。 車で近くの地下鉄駅へ移動。駐車場に車を預けて地下鉄6駅移動。 15分ほど歩いて珈琲屋へ。 瑠璃色のコーヒーカ…
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朝の時間

未明に目覚めて夜具にくるまったままぐずぐずする。 寒い所為だろう。 起き上がっても若い頃のようには事が運ばぬ。 白湯、野菜ジュースに亜麻仁油を加えて飲み、少しずつ身体を緩める。
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年改まり(続)

 朝、途中で車を休め、仕事に入る。朝食、出勤前に、ほうじ茶、野菜ジュース、餅と卵をエッグベーカーで焼いたもの、途中で新聞を読みつつ野菜サラダとコーヒー。  向こう3年間、1年間の仕事を考える。    午前中は同僚と簡単な打ち合わせ、意見交換をはさみながら若い人々とやりとり。  昼食に出る時間はなく、煎餅、ナッツ、干し魚をかじって…
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おばかな四月

年末に身罷った叔母の遺品整理に出かけ、風邪を引いた。 ぐずぐずするうちに花見も今日が最後らしい。 当地の朝刊では夜桜のあでやかな写真が一面を飾っていた。 テレビの映像で当地の街中が流れる。 昼間の映像は70年ほど前、戦火に焼かれ、その後占領軍の支配下となり、人々のむき出しの欲望のままに割拠されたその様子を伝える。 さらにさ…
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雨の中の緑

若い人と階段ですれ違う。 緑がきれいねと声をかけるとびっくりしている。 雨に濡れた緑が鮮やかでと説明するとまた驚いている。 雨は嫌いだから。 朝、裏庭の緑の鮮やかさに立ち止まった。
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初夏の雨

昨日から雨。 ラジオでルネ・パーぺを聴く。 シューベルト、シューマンなど。 小川典子の解説でイギリス20世紀の交響曲を聴く。 今の演奏者を追尾していなかった。 パーペは昔聞いたドイツ・リートの歌い手の誰とも違う。 小川典子はテレビによく登場するピアニストのようなかわいい声ではない。 土曜日の午前は住宅の消火設備点検。 …
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またこむ春とひとはいふ

「ときはきさらぎ」について 母と最後に桜を見たのはいつのことであったろう。父も母も、春に身体の衰えが告げられ、同じように水無月に逝った。父なきあと、母は毎年のように桜を写していた。
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花便り

寒い、暖かい、ひどく寒い、ぽかぽか陽気・・・・ つい、調子を崩す。 怠け心がおきる。 自己嫌悪。 かれこれするうちに現世の暦は容赦なく進む。 歯科治療がようやく最後を迎えた。 仮の歯をはずして出来上がってきたセラミックのかけらを装着する。 ただそれだけのことに1時間ほどを要する。 装着部分の掃除をする。 はめて見て…
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陽暦の陰

世の付き合いはすでに新年正月も半ばを了える。 何も片付かぬままに。 年賀状の返礼その他。たまった絵葉書を使って少しずつ。 一年前までの同僚が元旦に届くように送ってくれた、初めての米。こちらの好みを知ってか玄米で。そのお礼を兼ねて。年明けてまとめて送ってもらったオリーブオイルのお礼。年末に再会した旧友が送ってくれた本への、とりあえず…
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夏の飲み物

 家で過ごすとき、朝、浄水器を通した水に梅干を落としておく。もうひとつは水出しのほうじ茶を同じように用意する。いつもであれば紅茶1000ミリリットルをただ冷めるに任せて午前中に飲みきるのだが。開け放した窓から吹き抜ける風は、ベランダの植物に水を打ってもまだ生暖かい。午前中の仕事をこなしながら、合わせて1500ミリリットルを飲みきる。仕事…
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夏の残り

 陽暦7月30日、陰暦6月12日。  父の死から13年、母を見送り1年。記憶の底にある祖父の葬儀も夏のさなかであった。こちらはすでに60年を超えている。  陽射が疲れたように見えるのは、植物の葉が皆、くったりとしているせいだろうか。  朝、5時に体操。身支度をして6時5分から35分まで歩く。小休止の後50分から7時15分まで。同じ…
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銀杏のこぼれる街路あるいは個人という虚構

銀杏の実を拾う。 手袋代わりにポリエチレンの袋を裏向きにして悪臭のする果肉を洗い流す。 塩をまぶして鍋で乾煎りする。 秋深まる頃、フランスに滞在した折、雨の降る暗い午後、この異臭に引かれて、銀杏を見つけたことがあった。 誰も拾おうとはしない。 かの地では銀杏を食する習慣はないらしい。 さて、週末、金曜日夜は名古屋で猪崎弥…
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初雪のぬかるみに小休止

 今年は雪がふらないのかねえといいいいした朝の、そのほんの1時間後に、舞い散るような水滴が見え、それはみる間に雪となった。  食事食事と外に出れば、路上では宅配便の車が立ち往生し、店に着くころには頭も衣服も雪まみれである。  あたふたと新暦の正月を過ぎ、気づいてみればはや旧正月も3が日を過ぎる。仕事が遅いのか、それとも多すぎるのか。…
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旧暦は師走

師走はたしかに「シハス」でなければならぬ。少し前の旧仮名と新仮名交じりのおかしな自分の文面を見ながら、そう思う。表音文字化することで、元来の意味を喪失していく。そして切り貼りを続ける。それは日本語にとって不可避の道筋なのか。 そんな取り止めのないことを考え、そのどうしようもない仕組みのなかにからめとられながら、旧暦の師走も下旬を迎える…
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黄葉の光の下で

 旧暦では「かんなづき」である。  出雲に神様が出かけていってしまうというのは、あとからつけられたおはなしかもしれない。 それよりも秋の収穫に関わる意味の方が無理なく受け止められる。  神が新穀を舐めるというように。  農業を中心におけば、収穫から次の農作業の準備を歳の区切りとするのが自然であったろう。  秋の実りを祝い、冬…
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秋の極み

長月28日 こよみによれば細い月が夜明け前の東の空に昇るはずである。 しかし、時雨混じりの空には群雲が鈍く光るばかりで、その姿は見えない。 既に収穫の祭囃子も遠く、色づき始めた木々が山道を明るく照らすこの季節、人々はどのように暮らしたのであろうか。 現の世界、日常の騒がしさをいったいどのように凌ごうか。 すべてを捨て…
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後の月見、今年もまた

ささやかな、月見の茶会。 小さな旅篭をを紐解いて。 ゆとりのない日々が続いた。 お茶を点てることからも遠のいて、仮に20グラムばかりの抹茶をなじみの店でわけてもらっても、使う機会のないまま過ぎてしまうことが重なった。 月見団子も、栗も、豆も、準備できなかったけれど、少し日持ちのする和菓子を小さな小さな旅茶碗に添えた。 …
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中の秋

旧暦もようやく葉月。 かたづけ、探し物、修理、・・・ 大き目の鉢から鬼の子のように湧き出しはみ出していたアロエを株分けした。 あれこれの探し物に明け暮れた。 探し物はむこうからやってくることもある。 ホイジンガを読んだのは高校2年生だった。 それ以来開いたことは、ない。のだが。 あたふたと、今度は南へ出かける。 40年ぶ…
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夏果てて

重い買い物袋を提げてアパートの6階まであがってくると、真向かいにほんのりと茜色の光の帯が浮かんでいた。 虹のようにも思える。 「秋の虹」で検索してみると季語となっているようだ。 しかし、例として挙げられている句をたどってみても、いずれも魅力に欠ける。花冷えという美しい言葉が、それ自体としては句に盛り込みにくいのと同じだろう…
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卯月、卯の花月、植月

いよいよ夏。 旧暦四月は卯月。 卯の花は乙女がまっしろいエプロンをして風に吹かれている姿に見える。 辞書を開けば卯月は田植えと深く関わることを知る。 卯月の初め、葵祭、田植え祭り、卯月八日の潅仏会。 今は新暦で行われている花祭りも旧暦では夏の初めに位置づいていたことを知る。 いつもよりは少し丁寧に仕事の後始末をして一週間…
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藤の花ゆれる弥生に

 名残の桜。重たい八重がボンボンのように揺れる。風はまたも冷たいのだが、如月は過ぎた。何かと不調。昨年の秋以来のこと。不平を述べてはならぬ。しかし、どこかで、力の配分を誤っているのかもしれぬ。お祓いをしようなどとは思わぬ。しかし、そこには、リセットをするための何かの知恵が込められていたのだろう。  たとえば、後悔をしないこととか、慌て…
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