片山廣子 覚え書き 片山廣子 1878-1957 片山貞治朗 1870?-1920 1899-1920 片山達吉 1900-1945 片山総子 1907-1982 1928 1929 1930 1931 1932 1933 翡翠 歌集 竹柏会出版部 1916 燈火節 暮しの手帖社 1… トラックバック:0 コメント:0 2017年08月08日 続きを読むread more
田辺聖子 花衣ぬぐやまつわる・・・ 昔のブログ記事へのコメントから杉田久女と、田辺聖子によるその評伝を見いだし、取り寄せて開く。 通読を困難にする息苦しさがあり、何度も中断する。 俳句に関しては少なくとも子規以来の現代俳句とその結社および新結社形成の動きがある。俳句の結社とそこを拠点とした句誌の刊行、句会と吟行会。いずれも馴染みの無い世界である。 … トラックバック:0 コメント:2 2017年08月06日 続きを読むread more
菜穂子とその周辺 楡の家 第1部 1934年 「物語の女」 文芸春秋 「目覚め」 1941年9月 文学界 菜穂子 1941年3月 菜穂子 中央公論 作品集 菜穂子 1941年11月 堀辰雄 1904-1953 1934 小説のことなど モーリアックへの言及 1923年~芥川・室生犀星と… トラックバック:1 コメント:1 2013年09月03日 続きを読むread more
海と毒薬 そして 菜穂子 どうせ死ぬのだから・・・ 自分たちだけは生き残ると思ったということか。 次にどのような世界がやってくると思っていたのか。 天上人にも、それぞれに屈託はあり、狭いピラミッドの頂上の席を奪い合い身体を歪める。。 世の中、そんなに理想主義で動いてはいないよ。 そう伝えられたとき、たしかに人々は席盗りゲームに大義名分を… トラックバック:0 コメント:0 2013年09月03日 続きを読むread more
「中也とその周辺 集成」について 小林秀雄のこと 「中也とその周辺 集成」について 小林秀雄の文章を最初に読んだのはいつであったろうか。高等学校の教科書であったか。戦火を被った廃材で作られた暗い部室に残された文章は後に、小林秀雄のランボオ論を下敷きにした習作だったかもしれないと思い至った。そして、その頃、ただ一度だけ程近い距離で生身のその人を仰いだ。出版社が企画する全国巡回講演会であ… トラックバック:0 コメント:0 2013年06月21日 続きを読むread more
折れる心を支えながら 「「堀辰雄」 あるいは「芥川龍之介と背中合わせに立つ人」」について 戦争のさなか各地の学校に軍事教練のプログラムが導入されていく。茨木のり子はその中で先頭にたって号令をかけていたという。地方の女学校で優等生であった少女が生真面目に義務に応える。その基本姿勢は、あるいは戦後の模索の中でもおなじであったかもしれぬ。 芥川龍之介の生… トラックバック:0 コメント:1 2013年03月20日 続きを読むread more
鼻から先は闇 夜半に目覚める。 うっかり、柱の角に頭をぶつけた。 目はその先を見ていた。 冷凍庫に残しておいた保冷剤を袋に入れて冷やす。 9月の夜の空気を楽しむ間もなく月が改まった。 1年の仕事を考える。 これまでの始末をつける。 それがなかなかはかがいかぬ。 1970年代終わりから1980年代いっぱいの仕事。 簡単なまとめなおしに… トラックバック:0 コメント:1 2012年10月03日 続きを読むread more
灰色の月あるいは1945年秋 志賀直哉 朝一番の仕事があった。 準備を兼ねて早朝に出た。 すでに通勤客で混雑の始まった列車を乗り継ぐ。 中央駅から半島へ向かう郊外通勤列車に乗り込む。ばらばらと人は乗り、乗り込んだ客の多くは通路に立つ。 乗換駅の売店で手にした新聞を扉近くに立って開く。 大方は読んでも詮無い記事ばかりである。 現在、われわれはいったいどこにいるのか。… トラックバック:0 コメント:0 2012年09月27日 続きを読むread more
白樺派覚書 「一房の葡萄」は1950年代終わり、子ども向けの読み物の本に当たり前に収録されていた。 1920年代から30年代に書かれた子ども向けの読み物の多くには半世紀前の戦争を生きぬいた人々の少し貴族的な雰囲気が染み付いていたように感じられた。 有島武郎 1878-1928 父 有島 武 1842-1916 鹿児島の郷士 その父の… トラックバック:0 コメント:0 2012年05月18日 続きを読むread more
遠景の火花 戦場のピアニスト 2002 Śmierć miasta 1946 火の山―山猿記 1998 夏の花 1945-1947 大戦争の時代を支えていた動機を理解することは難しい。 萩原 朔太郎 1886年-1942年 『月に吠える』1917年 『青猫』1923年 太宰 治1909年- 1948年… トラックバック:0 コメント:4 2011年02月24日 続きを読むread more
テレーズ・テスケルウ あるいは 縛られたものが抗うとき 少し前、インターネットの契約を家族に破棄されてしまった人がことごとく家族を殺害したというようなニュースが流れた。また子どもが起こした事件かと思って聞き流していたところ、問題の人物は、十分歳を重ねた大人であった。WEBを経由して多額の費用を蕩尽したというのがことの要にあったとニュースは伝えた。 その背景をしかしニュースは正確に伝える… トラックバック:0 コメント:1 2010年05月03日 続きを読むread more
「トーマス・マン 「トニオ・クレーゲル」 トニオが象徴するもの」について 「トーマス・マン 「トニオ・クレーゲル」 トニオが象徴するもの」について 1930年代、トーマス・マンは大正期からの教養主義の流れを汲む人々の「青春の書」の一角を占めていたらしい。親ナチスドイツの当時の風潮に沿って、ドイツ語、ドイツ文学ならなんでもというようにして読者を集めていたようだ。トニオ・クレーゲルに見える「南」への憧憬は、「ベ… トラックバック:0 コメント:1 2009年12月17日 続きを読むread more
早すぎる春の香り 今日は旧暦で12月10日。 一週間前、明るい日差しに誘われて散歩に出て、バラのつぼみがふくらんでいるのを見つけた。昨日、本屋と昼食と家人の出迎えを兼ねて降りていくと、すでに春の花の香りが降ってくる。サンシュユの黄色い花の房が狭い街路に張り出している。その樹下に春の花のあれやこれやが開いているのかもしれない。 家人に聞けば仕事先の近く… トラックバック:1 コメント:2 2007年01月28日 続きを読むread more
家あるいはかまど とおいむかし、初めてフランスにやってきたときのことである。 初対面のひとと、次に会う日を相談していた。 きみたちのフォワイエは? それが棲家とか宿舎を意味することに気づくのにしばらくかかった。 火のありかフォワイエ 「かまど」が生活の中心であり、それが住むということと直結しているということなのだろう。 週末になってガスト… トラックバック:0 コメント:2 2006年10月27日 続きを読むread more
ノラの夫 「人形の家」とは、いったいどのような話なのだろうか。 おそらくは持参金つきで結婚した妻ノラ。 夫ヘルメルは重い病気になり転地療養をする。 その費用を、夫はどうまかなったと考えたのであろうか。 亡くなった妻の父、その遺産をどう見積もっていたのであろうか。 実態をしらなかったとなれば、それはあまりに無知というべきだろう。 妻の無… トラックバック:0 コメント:5 2006年09月28日 続きを読むread more
捨てるはずのものに実は支えられていること 伊藤整という作家については多くを知らず、そして手にしたのはわずか「近代日本人の思考様式」と題された薄い文庫本一冊だけだった。 たまたま、その北海道時代をモデルにした小説2編をめくってみた。 すでに3ヶ月も前のことである。 辺境から中央へ。 中央で選び取ろうとするものと、女性に仮託されたものとのずれ。 中央で生きるために辺境… トラックバック:0 コメント:3 2006年08月16日 続きを読むread more
イージーライダーとカッコーの巣の上で はるか昔のことを考えていた。 イージーライダー、1969年 カッコーの巣の上で 1975年とある。 そのころ、ギッシングと、シャーウッド・アンダーソンに心を奪われていた。 ギッシング1857-1903 読んでいたBy the Ionian See は晩年の作。 アンダーソン1876-1941 読んでいた Winesbu… トラックバック:0 コメント:0 2006年05月22日 続きを読むread more
雑木林の迷い道 1 ここでは、書棚を整理しながら、つい開いてしまった本のことを小さなメモに。 1.ピーター・カヴニー(江河 徹 監訳) 1979 『子どものイメージ 文学における「無垢」の変遷』 紀伊国屋書店 Peter Coveney 1957 1967 The Image of Childhood The Individual and Soc… トラックバック:0 コメント:0 2006年02月25日 続きを読むread more
悪について もうかなり以前のことになるのだろうか。 トマス・H・クックの「緋色の記憶」という小説が翻案、ドラマ化されて流されたことがある。 みずみずしい女性美術教師をたしか鈴木京香さんが演じていた。その教師と妻子持ちの地味な英語教師との間の道ならぬ恋。そして、その妻の死。年上の女性にあこがれる校長の息子。 幾夜か続いたシリーズを途中か… トラックバック:0 コメント:4 2006年01月26日 続きを読むread more
暮のすさび: ランボオ『イリュミナシオン』からジェニー (続) Genie 愛がふりそそぎ、恵みがもたらされる。荒れ狂う冬が迎え入れられ、夏のざわめきが館に満ちる。 卓上のあらゆる飲み物とご馳走とが清められる。これぞ、行き場のない人々をひきつけるもの。不安に満ちた宿場町を魅惑の場へと変えるもの。 愛がふりそそぎ、未来が約束される。力と愛。われらは憤怒と諦念のうちに嵐の空へ運ばれ… トラックバック:0 コメント:4 2005年12月31日 続きを読むread more
暮のすさび: ランボオ『イリュミナシオン』からジェニー 愛がふりそそぎ、恵みがもたらされる。荒れ狂う冬が迎え入れられ、夏のざわめきが館に満ちる。 卓上のあらゆる飲み物とご馳走とが清められる。これぞ、行き場のない人々をひきつけるもの。不安に満ちた宿場町を魅惑の場へと変えるもの。 愛がふりそそぎ、未来が約束される。力と愛。われらは憤怒と諦念のうちに嵐の空へ運ばれ、夢うつつのうちに旗にあ… トラックバック:1 コメント:4 2005年12月30日 続きを読むread more
『アビシニアのランボー』 その後 「フランスから本が届いた」について 『アビシニアのランボー』(東京創元社)の著者アラン・ボレル Alain Borer 氏のその後を、調べてみました。 以下のアドレスにあります。 右に掲げましたのはそのページに載せられていたものです。 最近のものであると期待します。 ttp://perso.wanadoo.f… トラックバック:0 コメント:0 2005年10月06日 続きを読むread more
探し物がみつかるとき ここのフリースペースにご紹介させていただいている、 開絵在明日之抱夢頁(アクエアリアスのホウムペイジ) http://ww4.enjoy.ne.jp/~aqua98/index.html を契機に、メールのやり取りをさせていただいた折、中原中也研究第8巻のことが話題に上った。 第8巻までは並べてあったはずの書架に、この第8巻… トラックバック:0 コメント:0 2005年10月01日 続きを読むread more
橋本一明のこと 「フランスから本が届いた」について それに、関連して飯島耕一『ランボー以後』についての記事もhttp://crossroad.at.webry.info/200509/article_39.html アルチュール・ランボーに関連して、話題になりました以下の図書、目次をメモしておきます。 そして、同じ著者のランボー論についても、… トラックバック:0 コメント:2 2005年10月01日 続きを読むread more
フランスから本が届いた 滞在中にかさばる本をまとめて郵便局から送った。 1週間弱で届いた。 箱売りの荷物便である。日本円にして3000円くらいだろうか。 ほとんどが仕事の本だけれど、つい出来心で購入したランボウ全集の2冊が一緒に出てきた。 ランボオ全作品 Livre Poche 社のLa Pochotheque Rimbaud Oeuvr… トラックバック:2 コメント:30 2005年09月01日 続きを読むread more
青年ゲーテのストラスブール滞在 1770年から1771年、ゲーテはストラスブールの中心近くに住んでいた。メダル状のレリーフがかかっているこの建物である。ゲーテは1749年生まれであるので、20代のはじめである。 これに先立つライプツィヒにおける場合と同様、どうやらあまりまじめな学生ではなかったらしい。 このストラスブールの町から少し離れたところにある友人宅へ(… トラックバック:1 コメント:5 2005年08月27日 続きを読むread more
もう一人の芥川龍之介 中学生・高校生の時期には、芥川龍之介の作品を随分読んだと思う。 そして、彼の作品についての同時代や時代が下ってからの評論も、読んだと思う。 すこおし、闇の世界を覗くような、しかし、それは、御伽噺の世界に納まってしまっているような、不思議な感覚があり、そのうちに読まなくなった。 昨晩、近くの書店で購入した関口安義氏の『芥川龍之介』(… トラックバック:1 コメント:3 2005年05月17日 続きを読むread more
トーマス・マン 「トニオ・クレーゲル」 トニオが象徴するもの トーマス・マンはなぜか近寄りがたい存在であった。北杜夫の「楡家の人々」やその成立の経緯を書いた彼の自伝的小説をとおして、マンのことは知った。手近にあったのは、「老い」をテーマにした小編を編んだ作品集だった。「楡家の人々」は徹夜同然で読み通してしまったのに、「ブッデンブローク家」や「魔の山」には手がでなかった。そもそも、当時、翻訳… トラックバック:2 コメント:6 2005年04月14日 続きを読むread more
梶井基次郎が見たもの 梶井基次郎の散文詩のような作品群は、やはり高校2年生のときに始めて知った。ある友人は夏目漱石、白樺派、そして、小林秀雄とつながる糸を描き出し、その途上に、梶井基次郎もそっと位置づけてくれた。 中学3年生のときの萩原朔太郎の発見からたどりついてみれば、それをさらに純化したもののように梶井基次郎は映った。 長い間、彼の作品のいくつ… トラックバック:1 コメント:6 2005年04月12日 続きを読むread more
「堀辰雄」 あるいは「芥川龍之介と背中合わせに立つ人」 堀辰雄の作品は、高校2年生の時に初めて読んだ。 それまで抱いていたイメージはかならずしもよくはなかった。 「高原のサナトリウム」 「死」 「こいびと」 少し身を引きたい作家のひとりだった。 引き込んだのは同じクラブにいた同級の少年だった。 高校2年の夏、クラブの研究会を開き、龍之介のぽきりと折れる鋭… トラックバック:2 コメント:5 2005年04月08日 続きを読むread more