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zoom RSS ただの文士 父堀田善衛のこと を読む

<<   作成日時 : 2019/02/05 18:33   >>

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遅まきながら堀田善衛通りを往来。
堀田善衛の仕事場をのぞいている。1949年生まれ。1918年生まれの父の仕事場を背後から眺めている。
小田実が「お嬢」とよび、武田泰淳が「ジュリちゃん」とよぶ堀田善衛の娘。
その娘と父との歩みを年譜にしてみる。
娘の目から。
そして、父の歩みとして。
1951年33歳 広場の孤独で芥川賞。
1973年から50代後半をゴヤの執筆。 
1977年から10年間をスペイン滞在、定家明月記私抄の執筆。60代。 
1987年から亡くなる1998年までを日本でモンテーニュとロシュフーコーを題材に執筆。70代の10年間。 



1951年33歳 広場の孤独で芥川賞。百合子2歳
1973年から50代後半をゴヤの執筆。百合子24歳〜
1977年から10年間をスペイン滞在、定家明月記私抄の執筆。60代。 百合子28歳〜
1987年から亡くなる1998年までを日本でモンテーニュとロシュフーコーを題材に執筆。70代の10年間。百合子38歳〜

お嬢はいま、70歳目前。父の最後の10年間のとば口に立っている。


戦前の堀田善衛。二二六事件の1936年 18歳で東京にいた。
よく年南京陥落を人々はちょうちん行列で祝ったという。

私の父は20歳で東京にいて事件に遭遇し、21歳でちょうちん行列をみたという。
当時東京パックという漫画誌の出版社に下宿住まいをしていて、そこの家主が今度の戦争は長引くぞというのを聞いたという。

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