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zoom RSS テーマ「母」のブログ記事

みんなの「母」ブログ

タイトル 日 時
母の毒
 母は娘の、そして息子の存在自体を無条件に肯定してくれるものとして期待される。  しかし、それが嵩じて、娘や息子に起きた出来事を、たとえば、その克服しがたい不幸を周囲の誰彼に過剰な責任を負わせることで整理し、そのことによって娘や息子を護るよう振る舞うとすると問題はもつれる。 ...続きを見る

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2017/05/16 21:56
一歩一歩、薄暗がりに踏み込む
山間の渓流にかかった橋の上で、「若い人たちはよいですね。私たち年寄は、一日一日うす暗がりに入っていくようで・・・・」 そんな言葉を聞かされたのはもう40年以上も昔のことでしょうか。 そのとき、その女の人は今の私よりもう少し若かったような気がします。 遠い未来のことのように思われた道のりの向こう。 しかし、振り返ってみれば30代には30代の、40代には40代の、そして50代には50代の、さらに60代にも70代にもそれぞれの峠があり、その峠を越すことなく身罷った人々がありました。 鼻から先... ...続きを見る

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2016/02/17 15:27
突然母が帰ってきて
長い間、ピアニストとして世界を飛び回り、子どもも夫も顧みなかった母が戻ってくる。 不在を埋め尽くすかのように子どもにすべてを注ぎ込む。 歯科矯正、ピアノやダンスのレッスン。 ...続きを見る

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2015/04/22 22:07
人格者とは
 そのむかし、教師が聖職といわれることのあった時代、祖父は列島から南へ突き出た小さな半島の、小さな小学校で校長をしていたらしい。娘たちや息子に論語の中から拾い出したありがたい文字を借りて命名し、学校のこどもたちを国への真心を尽くすべしと海軍や陸軍の幼年学校へと送ったと聞く。  戦争が手ひどい敗戦となって終わり、祖父はすっかり気力を喪い、数年を待たずに亡くなった。 ...続きを見る

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2015/02/05 17:45
グランマの台所
フランスの40年来の友人が台所を改造した。 最新の調理器具と最新の材質によるカウンタートップ。 掃除をしやすく、そして狭い空間で孫たちと軽食をとることができるように。 台所の改造は、これが初めてではない。 壁面のタイルを張り替えた、子ども時代に祖母の家で使っていたミルク入れを飾るように照明を備えた天井近くの棚を作った・・・ 案内されるたびに、少しずつ手が入れられている。 ...続きを見る

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2014/10/30 07:24
「「蜘蛛の糸」を切るとき」について
「「蜘蛛の糸」を切るとき」について  2014年夏に河出書房新社から刊行された 須賀敦子ふたたび に尾崎真理子が 貧しさへと向かっていく須賀敦子の姿を描いている。スコラ哲学者 松本正夫および彼を囲む人々との交流を対応させながら。 ...続きを見る

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2014/10/27 05:37
齢90年
昨年末、叔母が身罷り、一人残されたその伴侶が93歳になる。 叔母の部屋を少しずつ片付ける。忙しく動き回り、最後は身辺の整理をする間もなく人生を終えてしまった。 叔母夫婦にはこどもがいない。 ...続きを見る

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2014/10/01 07:15
動くのよ、止まっていたら死んでしまったのと同じ
娘の父親と別居することを決めた母は、娘に言う。 娘は変化を望まない。 小さかったときの家族の関係へと引き戻そうとする。 日本語字幕では「変わるのよ」と母は言うことになっているのだが、流れてくるフランス語は"devient"そして"bouge!"。 動詞devnir とbouger が使われている。devnirは前の状態から次の状態に変わること、それになれること。bouger は 変化する、変質するという意味でも使われるが、動く、行動を起こす、あるいは転居などの場合にも使われる言葉である。'... ...続きを見る

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2014/06/02 19:28
母の庭
南垂れの広い庭を回廊のように廻る広縁から眺める。 一角には菜園をしつらえ、葱や三つ葉を育てる。 それが母の果たせぬ夢であった。 引き受けてきた人生のあれこれに我慢ならなくなると、決まって30代初めからもはや自宅へ戻ることのできない病に倒れるまですごした家の狭い庭が鬱憤の対象になった。 その現実離れした夢を、子どもたちは哂ったが、その母の犠牲の上に子どもたちの暮しはなりたっていたに違いない。 ...続きを見る

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2013/10/03 04:07
母のミシン
ミシンとはマシンのことだろうか。 ソーイングマシン。 女性が始めて手にした機械。 物心ついたとき、生家にはミシンがあった。 あったものはあって当たり前のものだった。 あれは、いつからあったのだろう。 1946年末、長女が生まれた。 それは、東の湖に面した街だった。 4畳半一間で炊事は外でしたという。 その前、父と母は父の生家の近くで2度ほど転居したらしい。 湖の街から西へ転居、そこで転々とした。 次女が生まれたのはその町。次女が記憶している限りでも3度屋移りをした。 あの... ...続きを見る

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2012/08/03 02:54
最期の花見
 母が施設で怪我をし、念のためといって近くの病院に入った。街外れにあった病院はその昔結核療養所であった。車寄せの周囲、病棟の間、散歩道を満開の桜が埋め尽くしていた。  退院の日、花の影の下をゆるゆるとくぐって病院を出、帰路、近くの公園内を車で周回した。さまざまな桜の花が燃え立つ前の木々の中に密やかに灯りをつける。 ...続きを見る

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2009/04/12 07:31
爪の灯のもとで
陽射しの明るさ、風のおだやかさに誘われて冬物の整理を少し。 結局は使わなかった肩掛け、襟巻き、衣装入れから出したまま眺めただけのセーター。 ひとつひとつ材質を確かめながら。 ...続きを見る

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2009/04/06 05:32
花の香りにさそわれて
 旧暦。  一日、二日、とつづいて、三十日、晦日に達する。そして、その次は一日(朔日)。  あたりまえ。と思っていたけれど、二十九日で終わる月もある。そういえば、月が地球を一巡するのには30日はかからなかったとどこかで聞いていたはずだ。旧暦のこの正月は30日まで続き、そして、今日はきさらぎの朔日。  例の騒ぎの餅屋が、朔日餅というのを予約制で出していたことを思い出す。 ...続きを見る

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2008/03/08 21:48
変わらなければ死んでいるのと同じ
前みたいじゃないの ...続きを見る

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2006/04/14 15:36
しもやけがひびわれて
小学校もまだ初めのころ、しもやけがひび割れてみるも無残な手になった。あかぎれがふかくひびわれ、出血した。放課後の掃除当番で、雑巾がけをする。泥水の中へ手を入れて雑巾をすすぎ、絞る。 ますますひどくなる傷口をみて様子を察した母が、まだ生まれて間もない弟を背中に、学校まで来て担任の先生に話してくれた。 それから、雑巾がけは冬の間免除された。 身の置き所のない気分だった。 まもなく学年が上がり、担任の先生が替わった。また冬がやってきて、しもやけがひび割れてきた。 母が担任の先生に頼むのは嫌だ... ...続きを見る

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2005/12/04 04:31
父と母
めったにない自分の写真です。 とっていただいた集合写真からきりとりました。 ○○○〇○○○○○さん、つかわせていただきました。 ありがとうございました。 ...続きを見る

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2005/09/14 22:40
「幾時代かがありまして、茶色い戦争ありました・・・」中原中也の時間感覚
 中也は死の床で、母親の指をさすりながら、  「おかあさん、いつか、きっと僕がほんとうは孝行息子だったということがわかりますよ」 といったという。この逸話に接したとき、母を嘆かせ、心配させた少年時代から死後数十年もたって母の胸の中で回想される想い出の中也まで、一時に押し寄せてきて、思わず涙した。  中也の母は山口から横浜に出ていた一家の娘であったが、両親の郷里の伯父の家の養女となって婿養子を迎えた。中也の父はいわば出郷のエリートであり、その社会的達成を評価されて養子になったのであろう。軍医... ...続きを見る

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2005/07/13 08:00
「授業」の記憶13 老母の恋
その先生は大学院の演習で、ひととおり予定を終えると、少し話の寄り道をして時間を過ごした。 そして、そのような「話の寄り道」のほうが、なぜか心に残った。 ...続きを見る

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2005/04/24 14:23
「蜘蛛の糸」を切るとき
  伴侶の妹が子どもたちを保育園に通わせていたころ、この孫たちの運動会の様子を見に出かけた義母が、不機嫌な顔で戻ってきた。同じクラスにいた障害を抱えた子どもたちのことをさして、「あんな子どもたちとうちの孫が一緒に生活するなんて」と子どもたちの母親、すなわち自分の娘、そして息子とその伴侶を前にして感情を吐き出した。   娘はあわててその火を消そうとしたが収まらなかった。   娘は障害児の保育を教育の課程で修め、いわゆる統合保育の実践者でもあった。息子の伴侶は幼少のころから、「しいのみ学園」の記... ...続きを見る

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2005/04/19 11:54
『お前のほうが死ねばよかった』(スタンド・バイ・ミー)
二人の息子のうち期待をかけていた上の方が交通事故であえなく死亡する 残された下の息子はどうみても味噌っかす 体は華奢でアメフトの花形選手など夢のまた夢 つるんでいる友達は子どもっぽい悪ばかり 小さな盗み、家庭の問題、学校の成績 どれひとつとっても腹立たしい材料ばかり ...続きを見る

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2004/10/15 17:44
母の嘘
むかし、母はよく嘘をついた                        不思議なことに父はそれを、いつもいとも簡単に信じてしまった 父は厳しく家族は窮屈だった 母はその父に、嘘で立ち向かったのだったろう 苦し紛れに ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 4

2004/10/03 02:52
まだ見ぬ君へ
泣きたいのなら なけばよい 母の胸を両の手でうちたたきながら 嘆きたいのなら なげくがよい 墓石にこぶしの打ち砕かれるまで ...続きを見る

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2004/10/02 08:29

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