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「広い砂浜でほんのひとかけらのさくら貝をひろったような」
もう40年も昔、「ヤマテイ」とかいう英文解釈の受験参考書があり、それが高等学校の英語のサブテキストだった。授業でとりあげられることはなく、ただ、範囲を決めて、定期的に試験があった。数行の英文を、読み解く。それも、哲学や思想のジャンルから、小説の一節。まるで、パズルを解くように難渋し、とんでもない読み方をした。 ...続きを見る

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2007/12/21 08:19
ドレス・コード
メルボルンのゲスト・ハウス 一泊・朝食付き6000円の安宿である。 日本風にいって1階の奥に食堂があった。 「ドレス・コード シャツおよび靴着用のこと」 「食器はカウンターへ片付けること」 少し取り澄ました金色の札に活字で書かれていた。 それらが、目に立つところ何箇所かに掲げられている。 試行錯誤のすえのガイドラインだろうか。 上半身裸で降りてくる客もいたのかもしれぬ。 はだし、あるいは室内履きでやってくる客もいたということか。 そして、24時間開放されているこの空間で夜半に ...続きを見る

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2006/07/15 06:58
少年よ
少年よ チチハハを乗り越えていけ チチの愛を求めてはならない ハハの過誤を背負ってはならない ここを旅立ち 遠い地から振り返るそのときまで ...続きを見る

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2006/06/24 07:50
21世紀のエミールへ
3ヶ月ほど前から、このタイトルで記事を書こうとして、そのままになっていた。 胸に浮かんだフレーズのいくつかは、脇に置き、昨日観た映画の話。 フォード監督の「わが谷は緑なりき」 イギリス・ウェールズの炭鉱町の一家。炭鉱の繁栄と衰退。教会、牧師、そして、炭鉱主。 なかでも、「父」と「母」。19世紀末から20世紀初めにかけて。石炭の時代。鉄道の時代。 なぜか、海をこえて、日本の過去と共通性を感じる。オースティンの小説が、前世紀の日本のすがたと、親縁性をもっていると感じられるのと同じように。 ...続きを見る

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2006/02/25 07:20
「授業」の記憶 集成
 昨年2月から8月まで18回を数えましたシリーズ記事 「授業」の記憶、このあたりで、一度まとめておきます。暇をみては、書き足すつもりでおりますが、とりあえずは元の記事のまま。  「授業」と括弧つきでタイトルをつけたのは「抵抗」でしょうか、「あがき」でしょうか。   いささか不真面目に見えるかもしれぬ、「授業」論、お許しを。  真面目に論じて右往左往の対極があればよいがと。・・・ ...続きを見る

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2006/01/30 13:14
サルの世界の話
もう、ずいぶん前の話だ。 タモリが進行役を務める動物の生態の番組があった。 サル、ネコ、キリン、あれこれ・・・ ...続きを見る

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2005/09/14 06:44
未明から仕事
3時半に目覚めてみれば、早朝はさすがに涼しい。 ...続きを見る

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2005/09/13 08:55
三田界隈、大通りを神輿が行く
所用で三田のほうへ出かけた。 田町の駅を降りて西の方角へ歩いていくと、街は祭りであるらしい。 神輿を担ぎ、それを取り囲む一団が、大通りの交差点で、スクランブルに横断。 角材を井桁に組んだ神輿を担いでいる中に、よく見ると、女の人もいる。 背の高い人も低い人もいる。低い人は精一杯背伸びをして。 そうか、神輿って、背の高さがそろわないと苦しいんだ。 車と横断者も、ぼんやり眺めて、通常の信号指示になるまで、しばらく待っていた。 ...続きを見る

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2005/09/11 20:35
合間に読書
亜さんの著書 『リーダーの易経』  PHP を半分ほど読む。 易経のことは、子どものころ(多分中学か高校のころだろう)父から聞いたことがある。研究会をつくって、勉強したことがあると言っていた。占いとは違うといわれても、当時は区別がつかなかった。しかし、どうやら、大変な書物らしいということはおぼろげながらわかった。 しかし、なぜか縁のないまま今にいたった。 ネットのコミュニケーションがなければ見落としてしまった書物だろう。 おもしろい。 こちらの専門領域から見ても興味深い。 そして、著 ...続きを見る

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2005/09/10 19:14
少し遅れ気味の11ヶ月記念
このブログ、始めたのが2004年10月1日でしたから、もう1ヶ月足らずで1周年です。 ...続きを見る

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2005/09/05 02:25
青年ゲーテのストラスブール滞在
1770年から1771年、ゲーテはストラスブールの中心近くに住んでいた。メダル状のレリーフがかかっているこの建物である。ゲーテは1749年生まれであるので、20代のはじめである。 これに先立つライプツィヒにおける場合と同様、どうやらあまりまじめな学生ではなかったらしい。 このストラスブールの町から少し離れたところにある友人宅へ(その妹に会いに)足しげく、通ったらしく、そこが、小さな記念館になって、手紙や遺品が展示されている。足しげくとはいえ、歩いてはいかれないほどの距離である。いや、馬車を ...続きを見る

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2005/08/27 14:16
大学付属植物園
例によって、ストラスブールの街で短い夏をすごした。 宿の目の前は大学付属の植物園。 昼間、自由に散策することができる。 Freeとは、入場無料と言う意味である。 ひとつひとつ学名をつけた札が用意されている。 しかし、それだけでなく庭としてもなかなかである。 ベンチに腰掛けて樹木を日除けに、新聞や本を読む。 大学のカレンダーにここの写真を月ごとに載せていた。 たしか、昨年。 奥に進むと子どもたちに開放されるプラネタリウムもある。 さらに奥には週に2回公開される地震研究所もある ...続きを見る

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2005/08/26 23:53
授業の記憶 18 繰り返すことの効用
 結局、自分でやっていくほかないのだと思い決めたときから、「繰り返し」はその方法論のひとつになった。  だから、これは、自分自身への授業 についての一文である。 ...続きを見る

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2005/08/14 08:06
ブロコリの調理は僕がやる
13歳の少年は好き嫌いがはげしい。 父親はなんでもおいしそうに食べ、家族の残したものを最後までさらって食べている。 いつもそうらしい。 一昨日、外で夕食をとったときには、予め希望を聞いておいたので、気持ちよく食べてくれた。 そのうえ、「これ大好き」とほかの皿からブロコリを摘み上げて食べていた。 ...続きを見る

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2005/08/07 08:15
学生生活のスタイル 7 詩をよむ
 いまの若い人々がどれほど詩を読んだり、書いたりしているのか、わからない。  しかし、歌の詞、ということになれば、日常なじんでいる人の割合はかなり高いだろう。  The Boom というグループのボーカリスト、宮沢和史が編んだアンソロジー 『詞人から詩人へ』をみつけたのはまったくの偶然だった。  いきつけのコーヒーショップでたまたま古い雑誌をめくっていて、おもしろそうな書評を見つけた。そのままふらりと書店に立ち寄ったが、正確な書名が思い出せない。しかたなく、また店にもどってコーヒーを飲みな ...続きを見る

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2005/07/11 11:35
授業の記憶 16 丘の上の文化村
 4歳の終わりごろ移り住んだ土地は今考えれば不思議な地域であった。 日本が戦争に負けて教育制度の大きな改変があり、その結果新たに作られた「新制大学」に赴任してきたスタッフが、官舎を与えられて郊外の丘陵に住み着いた。敗戦後、日本の社会を立て直すには「教育」が重視されるべきだという暗黙の了解が人々の間にあったかもしれない。丘の上の人々は、周辺の人々や子どもたちを巻き込んで、さまざまな機会を準備してくれた。誘い合っての私的な料理教室、自宅を開放しての子ども会活動、そこでの音楽指導、演劇指導、そし ...続きを見る

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2005/06/10 10:17
授業の記憶 14. 「ゆっくり、でも着実に」
 いま、この場で覚えていられるのは、せいぜい30秒、5から6チャンク(単位)までであるという。私自身についてみると、このチャンク数はもっと少ない気がする。ウロウロ、ノロノロしていて、必要な事柄のあれこれをすぐにこぼしてしまう。育った時代がもう少し遅かったら、学校の中でまったく適応できなかったかもしれない。  いや、当時でさえ、器用にスイスイと前へ進む友人たちを少し寂しい思いをして見ていたこともたびたびだった。  小学校の4年か5年のころだったろうか、母が「ゆっくりしかできないけれど、いったん ...続きを見る

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2005/05/29 07:23
「授業」の記憶13 老母の恋
その先生は大学院の演習で、ひととおり予定を終えると、少し話の寄り道をして時間を過ごした。 そして、そのような「話の寄り道」のほうが、なぜか心に残った。 ...続きを見る

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2005/04/24 14:23
「授業」の記憶 12 自然の理(ことわり)に支えられた・・・
 中学に入って最初の学年担任は20代終わりの理科の先生だった。  大学では生物学を修めた方で、生物の解剖、物理の実験、すべてが専門的で、本格的な観察をさせ、それに基づく練り上げられたレポートを要求した。  あるとき、本当は研究者になりたかったが、兄弟が多く、父親に懇願されて大学院への進学を断念したという話を聞いた。父君も学究的な方であったのだろう、その地方の古い遺跡をいわばボランティアで発掘し、古い土器の復元などを試みていた方だった。  先生ご自身、授業でも、ホームルームでも生徒を子ども扱 ...続きを見る

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2005/04/06 12:26
「捨て目」という知恵
 そのときは何の役に立つかも分からずに見ておく、それがあるときとんでもなく大きな意味を持ってくる。  こんなことに対応した「捨て目」という言葉があるのだという。  「わたし、いいこと聞いちゃった!」と、友人が教えてくれた。  考えてみれば私の人生にはこんなことがよくあった。  思いがけずも、随分良い思いをしてきたのかもしれない。  急に「どう?」と言われても何も出てこない。  一つ一つの経験は、ただ「面白いから」、「こころに響いたから」、胸の底のどこかに残っている。自分自身と分けがた ...続きを見る

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2005/04/05 11:18
「授業」の記憶 11 長所と短所をよむ
  大学3年生の専門の演習のひとつは、学術雑誌の1年間分の論文を分担して読み、報告するという形で進められた。   厳しい先生で、1時間目の開始時刻で部屋に中から鍵をかけてしまうと予告された。   レポートの準備が間に合わなかったときは悲惨で、朝まだ暗いうちに印刷室にもぐりこみ、ひやひやしながら配布資料の準備をしたものだった。 ...続きを見る

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2005/03/29 19:35
「授業」の記憶 9 小学校では先頭に、中学校ではならんで、高校では後ろから
  タイトルに掲げたのは、中学2年のときに学級担任をしていただいた先生のお言葉である。 もちろん、担任の先生と子どもたちとの関係をたとえてくださったものだ。   ホームルームで生徒たちがリクリエーションの相談をして、「先生、どうしたらいい?」と聞くと、「ぼくがきめるんじゃないから・・・」と言うことばのあとに、必ずこの例えが話された。そして、郊外の緑地公園へハイキングに出かけるにも、近くの(火葬場の)隣の池でボートを漕ぐにも、必ず、趣味のカメラを携えて休日を返上して同行してくださった。時には3 ...続きを見る

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2005/03/18 14:23

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