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旧暦卯月も晦日である。 当地ではすでに梅雨入りしたらしい。 まだ10代も半ば、そのころは父が生きていて、娘の入学した高校の呼び出しに応じて出かけてくれた。 戦争の名残がまだそこここにあり、その高等学校の正門脇は廃車・廃物の処理場だった。徳川の城の外堀から正門へ向けてはにわかに道路が狭まり、いずこかの家の庭先に迷い込みそうであった。 「これをアイロというのだ」と父は言い、その時その人が何を思い浮かべていたのか娘は知らない。 物事が立ち行かなくなり、あれこれの対応を迫られる事態になる。 そのとき、ことがらの構造そのものをみとおすことなく、こわれたところをのりで貼りその場を凌ごうとする。 やればやるほど駄目になる。 そんなときがある。 失いたくない利得のあれこれ。 それが根底からその「現在」を突き崩すものであるとしたら。 しかし、そのような隘路へ迷い込んでいくことのほうが世の中には多いのだろう。 晩年の父が、「きちんとしたものをそろえればよいのに」と身の元を案ずる娘に「どうせ間に合わせの人生だから」と応えた。 その話をまたそれよりはるかに下ってからその父の息子に聞かせた。 父の遅い子どもであった弟はすでに「消費社会」の子どもとして生まれ育ち、「間に合わせの人生」を惜しむ気持ちをどのように受け止めたのかは定かでない。 |
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