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幕末を舞台にしたテレビドラマを見ていた。 10代の娘、姫君が活発に動きながら、しかも蓄積された様式の中に納まっている。 いまの崩れ放題の関係を思い、江戸数百年の人々の関係の積み重ねを考える。 もちろん、ドラマのことである。 現代の人間が思い描いた百数十年前の人々ではある。 年長の知人にさる大きな藩の家老を勤めた家の跡継ぎであった人物がいた。 伝え聞いたところによると、新年の儀式のひとつに「切腹」の様式をたどることが含まれていたという。座敷の中での座り位置、立ち居振る舞いのひとつひとつが積み重ねられ、研がれ、伝えられた。 それは、優しい顔をしたその息子にはすでに伝えられなかったはずである。 香山リカさんが「日本人の劣化」を描いている。「ことば」「関係様式」、さまざまなものの崩壊を描く。 「新自由主義」を選択することの代価として。 崩壊はしかし、必然の道のりではあろう。 新しい関係が求められるとき、新しい構造が求められるとき、その構造を、考えつくすことができるかどうかが、物事の帰趨を決める。 ******* たとへば、わが身の加齢。 単純化すれば、特定の機能のみを使用し、あるいは特定の姿勢、活動を続けることによる機能の特化と、柔軟性の衰退、あるいは使用しない機能の消滅。 一方で進行する役割の変化。 適応への努力が、より根本的な何事かの改変を要求するときがやってくる。 ******* かような時代に、失われたものへの郷愁を語る人は少なくないであろう。 「Allways 三丁目の夕日」しかり、「声に出して読む・・・」しかり、・・・ そして、振り返ってみれば、同様の発想の道筋は、人々の経験してきたもののなかにある。 18世紀のルソーに代表されるもの。文明化によって失われたものへの郷愁を基礎に人間社会を描いた。 ******* 根源的なルソー主義が、その対立項として新しい時代を拓く多様な議論を刺激したというのであれば、「失われたものへの郷愁」も、存在意義を持ちうるのかもしれないが。 |
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さくら貝 2008/02/11 01:01 |
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