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まだ、旧暦では10月。神無月である。 しかし、現の世界ではさようなわけにはいかぬ。 おそろしく忙しいというさるブログ主の話を横目に、一月の間の仕事の算段をする。 合間に中野重治「萩のもんかきや」「五勺の酒」をぱらぱらと捲る。 明日は東京国立博物館のホールで開かれるシンポジウムを聞きに行く。 亡くなった長井真理の名前に惹かれて一連の催しに足を運んだのはいつからのことだったか。しかし、登壇する人間に女性が含まれることはなく、内容も、なぜか隘路に迷い込むようにみえる。タイトルを除けば次第に関心から遠のいていくようでもある。今回もそれを確認するだけかもしれぬ。 昨年は会が終った後、暗くなった道を上野の裏から谷中へ抜けて白山まで歩いた。 中野重治の文章を頭の中でめぐらす。それは、プリズムに入ってきた波長の違う光のように、1950年を間に置いた10年有余の記憶の分光を浮かび上がらせる。 中野重治45歳から55歳。 「五勺の酒」1946年末。展望1947年1月号掲載。「萩のもんかきや」1956年8月。「群像」10月号に掲載。 東京、上野、師走初めの土曜日、驚くほどの賑わいであった。駅から吐き出される人の群れを見て出かけてきたことを少し後悔する。しかし公園のはずれまで歩くとさすがに人は少ない。時代劇に出てきそうな門を、茶色い髪の尖ったはなをした若者が写真に収めている。それを脇に見て、平成館といういかにも新しい建物に向かう。いや、今年が初めてではない。東京国立博物館といういかめしい建物の付属新館という趣きで、奥では繋がっているらしい。それを別館の方から入っていくので、いつも「あちらへ行ってはいけません」という肩章までついた制服姿の人が立っているのだ。まるで裏口からこっそりとすまない気持ちでいれていただくような具合になる。 会場にやってくる人々に知り合いはほとんどいない。こちらは知っていても向こうは知らない。気楽にこくりとしたりする。会場にいる人々は哲学か精神医学の人がほとんどなのだろう。思わぬショートがあり、しかし、その果ての議論はこちらの関心からずれてしまう。WEB上でしばしば遭遇する場面と酷似してもいる。 自己組織性、オートポイエーシスの論客、河本英夫氏は、最近リハビリテーションの仕事に関わっているとかで、その仕事とからめた、現状報告。「あと5年位したら何か言えるかもしれない」。そして北山修氏の話。 話が面白いと、しかし、結局自分でこつこつやるよりないという気になる。 中野重治の「五勺の酒」のことを思い出す。あるいは夏目漱石のことを思い出す。イングランドに滞在中、かの地の人が描いた肖像画のこと。漱石が描いた、かの地での日本人の自画像のこと。 思い出したのは、シンポジウムの組織者、木村敏氏がおどろくほど長身であることを再確認したからだった。 さて、一夜明けると、内田樹氏の「下流志向」が持ち出されてきた。しかし、これについては改めて。 そういえば、付け加えるべきことがあった。城山三郎の生真面目さのことだ。しかし、それも、またの機会。 野心と言うやっかいなものを抱えているとどうなるのか。そのことは、もう議論したくはないけれど。 「現代のサラリーマンの父親はあからさまな不機嫌を持ち帰ることで、彼が家族を養うために不当に苛酷な労働に従事していることを誇示している・・・妻たちも子どもたちも、・・・父に負けずに不機嫌になることでその努力をアピールするしかない」(内田樹 2007) この国では、工芸に特別の地位が与えられている。茶碗をつくる、漆芸の作品をつくる。遠い昔の城主の子孫であり、この国の宰相もつとめた人が引退して茶碗を焼いている。その作品をパリの真ん中で展示して見せた。それらの作品に値段がついていた。売り物となっていた。そのことにフランスの友人は驚愕していた。 栃折久美子の本は、筑摩書房を中心に展開されていた人々の交流を伝える。その内容は必ずしも愉快なものではないし、無残に見えることすらあるけれど。 |
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